2020/08/16

ツイッターで喚き散らしている現状を若干緩和させたくて、最近ぼんやり考えていたことを敢えてため込んでこのブログに箇条書きの形でまとめて放出する。

・調子が悪いと何も頭が回らずダメだけど、逆に調子が良すぎるときは良すぎる時で、頭が変に回りすぎて思考がぐちゃぐちゃになってつらい。

・言ってしまえば自己啓発だけど、自分の状態を自分で観察して改善していくことにもうちょと意識的に取り組もうと思っている。

・都市を扱う学部に進学しようと思ったのは、過疎化の問題とか都市という(謎の巨大な)存在について考える時に頭に浮かぶ様々なモヤッとした思いと向き合いたい、というところからスタートしていて、学問に対峙する態度として不適切で恥ずかしいと思っていたけど、哲学とかは割とそういうところから始まっている的な文章をネットで読んで、案外オーソドックスな関心の持ち方なのかもしれないと思った。

・上の二つのようなこともあり、哲学にちょっと興味を持っている。体系的に学んでいく、というよりは、実践的なやり方というか、自分が知りたいことを中心に少しずつ参照していってみるというやり方が良いのかもしれない。

・なんで自殺してはいけないのかっていう問いに対して、死んだら家族(祖父母)が悲しむから、っていうのを答えにして、あまり深く考えていなかったけど、現実的にはそう遠くない将来に祖父母が亡くなってしまって、この答えが無効になってしまうだろうと思うと、自殺することを否定する何か別の確固な理由を見つけなくちゃいけない。

・大学院に行くべきなんじゃないかという思いが強くなってきた。行くべきである理由は三つあって、もう少しまともな人間になってから社会に出たいから、急いで進路を決めるべきではないし決めたくないから、何とか専門的な知識を身に着けて”何者か”(クサいけど受験生時代は何者かになるために東大を目指してた)になりたいから。

・受験生時代、勉強が嫌すぎて真正面から向き合わず逃げながら取り組んでいたけど、浪人時代の終わりごろには、どの科目もちゃんと好きになっていた経験を思い出すと、今楽しいと思えないことでもやり続ければ何か見えてくるというのは至言かもしれないと思えてくる。

・中学校、高校で失敗したけど、他の人間よりも発達(成熟)が遅かったからで、逆に言えばこれから35歳(最近知ったけど、日本政府によるニートの定義では、35歳を若者の成人年齢としているらしいです)になるくらいまでには、大体似たような成熟の度合いに達するのかもしれないと考えたら、何かポジティブになってきた。

・最近の話だけど、ベッドで横たわっているときに、幻覚のようなものが視界にあらわれたり、あるいは自分の意識とは独立して論理が立ち上がってきたりするのに気づいて、ああ今自分は覚醒状態から睡眠状態に移行しているんだと自覚してしまう。この間は、眠りに落ちる前の時間に、何かすごく後ろめたさや死にたさを感じていたからか、自己を肯定する論理をいくつも作り上げている自分に気づいて、脳の防衛本能ってすごいって他人事のように感動した。フロイトとかユングがどういう風に夢を分析したか少し気になってる。

・謎の存在なのは仕方ないとしてもう少し開かれた謎の存在になりたい気がしてる。具体的には、万人に対して自己表現を試みる。サブカル的な趣味を持っている人はその趣味をアイデンティティの基盤にしがちな気がしていて、例えば自分もそんな感じなんだけど、まずそういう意識から少し脱却する。

・”歪んだ正義感”というワードが携帯のメモ帳に入っていたけど、何のことかわからん。

・ここまで書いてきた文章は、折角思考が浮かんできたんだから消える前に形にして残さなくちゃ!、という意思に基づいて作られている。それが半ば強迫観念のようなものであることも理解しているし、記録という行為が良いか悪いかも分からないことも分かりつつも、強迫されながら記録を取っている。

・お目汚し失礼いたしました。