2021-07-25 石川泊最終日眠る前に

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写真は、石川県かほく市にある西田幾多郎記念館の前方に広がる丘からまちを撮影したもの。田んぼと住宅と、それからドデカいイオンモールが写っている。地方都市の姿を、断片的ながらも、一望することのできる稀有なスポットだった。
かつてはイオンモールのアンチを自称していたが、多少なりとも学習を積み、様々な知見を重層的に獲得した今となっては、もはやイオンに対してまっすぐ否定的な態度を示すことはできない。ただそれでも、今の自分にも、都市が力を失っていく様を少し切なく思う気持ちは確かにある。悲しいとか寂しいとか、その他にもいろいろなものが何度も何度も混ざりあって、今となっては自分でもよく分からない正体不明の塊と化しているが。


今回の帰省で、石川の姿を改めて見つめてみて、地方都市には東京の空間とは全く異なる論理が働いていることを再確認した。それは(部分的に説明すると)具体的には開発の圧力のかかり方が違うということになる。結果として、出来上がる都市の姿は、縦にも横にも密度の低いものとなる。

もちろん、これは東京と比較した場合の話であり、僕は地方都市のこのような姿を嫌ってはいない(むしろ金沢の密度感などは非常に好ましく思える)。ただ、ここ半年ほどは東京の論理に適応することに命を燃やしていたので、そことのギャップに面食らった。
滅び行く地方都市の現実に目を背けていたつもりはないが、それでもどうやら僕はそこを見つめられていなかったらしい。あるいは別件で、子供たちが出ていった後の家族の姿を考えさせられて得も言われぬ感情になったりもした。このような現実を目の当たりにして僕はどうすればいいのか。どうするのが最も誠実であるのか。それを考え出すととても不安になる。
地方都市および地方人がどう生きていくかについて真摯に向き合いたい思いもある一方で、「秋葉原」を分析したい、あるいは「オタク」を建築・都市の視点から分析したいというようなゲテモノ嗜好もやはり自分の中にはあって、そのギャップに自分でも困惑する。これらの関心を上手に統合していって、一人の確立された自己をつくりあげることこそが今の僕に与えられた命題であるのだろうか。

 

昨日、父親に「豊かさ」とは何か?と問われた。しばらく考えた末に「ゆとり」という答えを出した。この回答は我ながらよく気に入っている。