2022-01-16 また雨宿り

『スローループ』というアニメを見ている。このアニメは、「釣り」をモチーフにした日常系萌え作品、なのだと思う(2話までを見たところでは)。作品自体が丁寧に作られているし、また女の子たちのノリの程よい感じがとても好印象だ。

それはそうと、このアニメはどうやら神奈川県の横須賀市を舞台としているらしい。

yokosuka-kanko.com

今自分が大学の演習で横須賀の都市計画を作っているところだったので、タイムリーな出来事に驚いた。有名なところでは『はいふり』が横須賀とコラボしてきた過去があったが、まさかちょうどリアルタイムで新たな聖地化の瞬間が拝めるとは。現実の横須賀市が、この作品をプッシュすることによって、どのような影響を受けることになるのか、これから注視していきたい気がしている。(ちなみに、最近のきらら原作アニメでは、『おちこぼれフルーツタルト』が東小金井とコラボした際に、市民から抗議を受けるというつらい出来事があった。気になる人は「おちフル 市民団体」とかでググってみてほしい。)

 

さて、夕飯に中華料理屋でチャーハンを食べながら、上で述べたような思考をさらに斜め上の方向に飛ばしてみた。きらら作品、あるいは「日常系」と呼ばれるような作品の多くは、現代日本を舞台にしている。上で挙げた『スローループ』や『おちこぼれフルーツタルト』は、どちらも現代の関東にある街を舞台にしているし、他の作品を見ても、大体どれも舞台は現代の日本のどこかだ。

なぜなのか。作者にとって身近な場所であったため書きやすいとか、原作漫画の四コマのフォーマットの都合上大それた背景は不要だとか、壮大な世界観はいらないから手ごろな場所で十分だとか、色々な理由が想像できる。が、どれも部分的に当てはまっているようでいて、核心に迫っていないようにも思える。そもそも、私はサブカルチャーに特別詳しいわけでもないので、チャーハンを食いながら適当に頭の中で転がした類推で、本当に確からしい答えにたどり着けるはずもない(答えを提示している論者を知っていたら教えてください)。

では、理由を考えるのは置いておいて。そのような現代日本を舞台とした作品群を見て、コンテンツの受け取った私がそこに何を見出すのか、という方向へ思考をシフトさせてみた。やはり、どうしても、「我々の周りにある日常への積極的肯定の姿勢」みたいなものを感じ取ってしまう。美少女というフォーマットを使って、我々の退屈な日常の生活を戯画化してうまくごまかしながらも、それでも現実に存在しないようなユートピアに旅立ったりはせず、あくまで現実世界に踏みとどまる。断じて、そこは逃避しない。そして、美少女を使ってごまかした退屈で苦痛な日常を、どうにかこうにか肯定していく。

特に『NEW GAME!』以降、そのような傾向が強まったのではないか、なんてことまで考えている。漫画版『NEW GAME!』では、原作者の得能正太郎のアツいパッションみたいなものが、萌え四コマのフォーマットの中で迸るように表現されている。登場人物は、学校の中でダラダラ漫然と過ごすのではなく、会社の競争の中で必死こいて頑張っている。成功も描くし、失敗も描く。ネットミームとして広まった「今日も一日頑張るぞい」というセリフは、実はこの作品を象徴している言葉である(なお、こうしたことを踏まえると、得能さんの画風がどんどんエロを押し出すものへ変わっていった事実はとても興味深く思えてくる)。

別のところだと、私のお気に入り作品である『恋する小惑星』や『またぞろ。』は『NEW GAME!』以降の作品としてその系譜に位置づけられるし、最近読んだところでは『死神ドットコム』なんかにもその意志を強く感じた。

ここまで述べてきたのは、妥当性の薄い私の勝手な妄想で、その筋に詳しい人が読んだら、笑止千万に付すべき妄言と受け取られるだろうが、まあそれはいったん置いておいて。チャーハンを食べながら、上で書いたような論理に基づいてきらら作品を俯瞰してみると、一つ面白いことに気が付いた。それは『ご注文はうさぎですか?』という作品の存在である。この作品の舞台は、明らかに日本をモデルにはしていないし、また時代も現代ではないように思える。はて、作り手はどのような思いでこの作品に取り組んでいるのか知らないが、確かに私は『ごちうさ』については、「我々の周りにある日常への積極的肯定の姿勢」みたいなものは感じたことがないのである。上で紹介したような作品との態度の違いが、舞台設定の差にも現れているのかもしれない。こうして、長年自分の中で謎だった『ごちうさ』への違和感の正体を、だいぶ怪しいロジックではあるが、自分なりに言語化できて満腹な思いがした。

 

 

アジカンの2018年作『ホームタウン』に収録されている「UCLA」という曲がある。この曲は、ヒップホップ的な反復と、それを潔くぶち壊すロックのダイナミズムを見事に両立させている。下に引用した詩も、同じ「ように」という言葉を連続して用いていながらも、前半と後半でその意味が変わるという、とても美しくてダイナミックな構造になっている。すごく好きな曲です。

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凍える夜を堪えたように
怒鳴るような太陽を避けたように
今はまだ雨宿り
急ぐほど重要な理由もない

呼び声が君に届くように
出会うべき人と出会うように
君はまだ雨宿り
耳だけは澄まして時を待つ

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「UCLA」より)