2022-01-19 I want peace

昨晩久しぶりに父親と電話して、すごくショックだった。ちゃんと話そうと決意してこちらから電話を掛けたのに、全然うまく会話できなくて、しかも勉強についての話になってしまい、説教を受けているような最悪な状況に陥った。電話を切るころには、ただただ陰鬱な気分になっていた。

こういうことってよくある。俺の状況は世間的に見て相当どうしようもないのだと思う。中高の同級生の多くはもう立派に会社勤めしている。何なら結婚までしている人も少なくない。なのに俺は未だに大学の学部すら卒業できないでいるし、恋人も一度もできたことがない。「恋人できた?」って聞かれるのなんて、もううんざりしている。親の立場としては定期的に煽らないといけないのは分かるが、こっちとしては、自分の歪みをうまく見て見ぬふりしてだましだまし何とか毎日を乗り切っているので、もうこれ以上どうしようもない。だから、たぶん距離を置いた方がいいのかもしれないと再度認識した。

 

自分にないものを持っている他人が羨ましくて気が狂いそうになる。俺には何もない気がする。都市の勉強をマスターしようとしているのに、海外の都市はおろか、日本の都市すらちゃんと自分の足で行った経験が少ない。論理的に物事を考えるのも得意じゃないし、丁寧な作業が苦手だからデザインもできないし、人とのコミュニケーション能力も壊滅的だ。いったい自分には何があるんだ。

「パッション」と言ってみたいが、それすらも不安定で、やる気があるときとないときで大きな差があるような状況である。そんな波も含めて自分の「パッション」だと言ってやりたいが、そうも行かない。どうしようもないのだ何もかも。

それでも何とか自分を肯定してやらないといけない。そのために、手を尽くさないといけない。徹底して生と死の問題に向き合えば何か新たな倫理に目覚めるかもしれない(どうせ死ぬのなら何もかも怖くなくなる)。自分の短所に向き合い続ければ、それを長所へと変換できるようになるかもしれない(「ダメなところも武器に変える」)。音楽作品=アルバムでもいっちょ作り上げれば、一度スッキリできるかもしれない(音楽で己を救済する)。よく分からずに勢いに任せてキーボードを叩いているが。

あるいは、今抱えている苦痛を叫んでやればいい。誰か・どこかに電話をかける。SNSでメッセージを送る。ツイートをする。掲示板やチャットで荒らしをする。何でもいいから、そうやってしのいでみればいい。

でも、そこまで分かっていても、今日は一日最悪な気分だった。

 

youtu.be

どうしようもなさに救われる。毎日暗いことを考えて絶望の淵に立ち続けていれば、そのうち全ての物事をポジティブに捉えられるようになるんじゃないかとふと思う。

明日は、映画や本などメディアに触れることで、苦痛を見て見ぬ振りしよう。いいね?