2022-09-13 翌日

大学院の試験に落第した。

何度もぐちゃぐちゃになるまで泣いて、それで自分が真剣だったことに初めて気が付いた。確かに、自分を完全に制御して機械的に、計画的に勉強を積み重ねるようなことはできなかったかもしれない。確かに、他の受験生に比べて勉強方法がへたくそだったかもしれない。でも、それでも、きっと自分の中のどこかには、自分では気づかないような不器用な良さみたいなものがあって、きっとそれが発揮されて試験もうまくいくんじゃないかと、そんな都合のいいことを心のどこかで考えていた。でも、それはただの思い上がりだった。

その一方で、自分がただ打ちひしがれるているだけではないことにも気が付いた。ショックを受けて、何もできなくなっているんじゃ楽しくない。大学院の試験”ごとき”に潰されてたまるか。どうせなら、落ちなければ得られなかった幸福をたくさん見つけまくってやる。
そんなポジティブな強さが、自分の中でぎちぎちと音を鳴らしている。

 

しかし、そう単純な話でもない。
例えば、できた空白の期間を研究活動や社会勉強に充てながら、大学院の試験を来年もう一度受けなおして、無事それに合格できたなら。自分は自分の辿った軌跡にきっと満足できるだろう。
だけど、そうでなかったら。例えば、大学院の試験を受けることが、金銭的な理由によりできないかもしれない。例えば、来年もまた大学院の試験に落第するかもしれない。そうなれば、私はきっと満足しないだろう。

 

私の価値観について、単純化して述べよう。
私は、「たとえ何かに失敗してもその先できっと大事なものが見つかるのだ」という可能性を、一つの希望として強く信じている。しかし、私はあくまで、失敗したものに再チャレンジしてそれに成功する、という場合においてのみでしか、その希望を信じられてはいない。

具体的にはどういうことか。自分の人生を例に挙げて説明しよう。
希望を信じられる場合。例えば、東大に落ちても次の年に受かればそれでよい。例えば、留年しても次の年にパスすればそれでよい。一年間をロスすることになっても、その一年間の”ドロップアウト”期間で何か固有の体験ができて、その後で”正規のルート”に戻れたなら、それで何の問題もないのである。そして、大学院の試験に落ちて次の年に受かるのも、希望を信じられる場合に含まれる。
一方で、希望を信じられない場合。例えば、大学院の試験をもう一度受けることがかなわなかったら、私は絶望する。例えば、大学院の試験にもう一度落第したら、私は絶望する。

「たとえ何かに失敗してもその先できっと大事なものが見つかるのだ」という哲学を徹底するならば、先に述べた後者の場合でも、希望を信じることができるのではないのかと思う。具体的に言えば、大学院進学をあきらめて就職を目指すという道も、ポジティブに受け入れられるのではないか、と思うのだ。しかし、私は大学院進学をあきらめるという道を、どうにも受け入れられない。

 

あきらめられないのはなぜなのかということをいま考えている。
やっぱり、世間知らずで意固地で、やや強迫観念的な「よくありたい」という願望が、自分の中でのさばっているのではないかと思う。それが良いものなのか悪いものなのかは(誰にも)分からないが、でも人生のどこかで、その願望を解体する必要はあるんじゃないかと思う。今がその時なのかもしれない。

いや、実際には、自分の手で解体作業を行うことなどできずに、大学院進学をあきらめなければならないという事実が先に確定して、その事実によって自分の願望がぶち壊されることになるんだと思う。
その衝撃に、自分が耐えきれるのか。分からない。分からない。でも、どこかで受け入れなくてはならないことなんだ。

 

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嘘から抜け落ちた 裸のような目で 美しいままの想像で
ふがいないまま僕が 受け入れるべきもの今 形に起こせないすべて
急いで人混みに染まって あきらめない方が 奇跡にもっと近づくように
喧騒も待ちぼうけの日々も 後ろ側でそっと見守っている 明日に変わる意味を

六年前の秋、受験という大きな節目が目の前に迫って来ていたとき。もうすぐ自分は、今までみたいに、嫌なことから逃げてばかりでいることはできないんだなと悟った。そして、自分は何もかもがへたくそなやつだということも何となく理解していたから、”きっとこれから、自分のへたくそさによって何度も躓くことになるのだろう”という曖昧な予感を抱いていた。

その恐怖にも似た予感の中で、「翌日」という曲が、自分に確かな勇気をくれた。
イントロのギターサウンドは、窓から差し込む朝日のように、暴力的なまでに美しい。コード進行はたった4つの繰り返しで、歌詞も1番と2番で同じものの繰り返し。
いくつもの繰り返しで構成されたこの曲を、日々の生活の中で何度も繰り返して聞いていく。そこまでして初めて、「翌日」というタイトルにライターが込めた意味のようなものを、何となくつかみ取った。

開けない夜はない。太陽は必ず昇る。我々は、太陽から逃れられない。そうして太陽が連れて来る一日を、あるいはその他の嫌なことすべてを、我々は受け入れなければならない。自分の姿が惨めても、恥ずかしくても、納得がいかなくても、太陽からは逃れられない。
でも、そんな恐ろしさを乗り越えた先には、何か希望があるはずだ。あるいは、希望がなくても、その先には、必ず何らかの「意味」があるはずだ。それを信じて、太陽を受け入れていく。

そういう決意を歌った曲なんだと、当時の私は理解した。


太陽は、必ず昇る。昇っては沈んで、昇っては沈んで、という動きをあの頃から二千回くらい繰り返したことになるのだろうか。当時抱いていた曖昧な予感は、見事に的中することとなってしまった。大学入試に失敗して一年浪人。大学生活に失敗して一年留年。そして、大学院試験に失敗。

太陽は、必ず昇る。私はまた「翌日」を生きていかなければならない。いや、生きていく。