2023-05-15

特に決めていたわけではないが、毎日やるべきことをやることにエネルギーを注いでいたら、気が付いたらしばらくブログを放置してしまっていた。
特に決めているわけではないが、何となく眠れないのでブログを書く。

 

論理は無視する。

 

何をしていたのか。4月は、研究室の新しい環境になじむこと・自分の研究を進めることを頑張っていた。具体的には、研究室の人たちとちゃんとコミュニケーションをしたり(対面で会う企画が爆増したのだ)、自分の卒論を学会に投稿する作業を進めたり。
まあ頑張ったけど、どっちもそれほど成功していないかもしれない。コミュニケーションの機会は自分視点では増えたが、それでもまあまあ壁を感じている。論文は、結局元々提出を目指していた発表付きの投稿期限には間に合わなかった。
それでも、粘り強くやらねばならない。中々うまくいかない時こそ、投げ出さずにしぶとく頑張る。その中にこそ、大事な何かがあると思いたい。

論文投稿に失敗したときはすごく萎えたが、それでも他にやるべきことが多くある。投稿期限のその日も、院生の研究の手伝いで京都に行っていた。
今、院生の研究の手伝いや研究室のプロジェクトの手伝いをやっている。そこには、当然責任も伴うし、ちゃんと成し遂げねばならない。自分のことで萎えていても、やらねばならない。がんばらねばねばねばぎぶあぷ……

……という毎日を送っている。時間の余裕というよりも、気持ちの余裕がない。

なぜ今日眠れないかと言うと、端的に言えば人と酒を飲んでいたからということになる。酒の効果と、他人と多く話した効果で、なんで生きているのか分からなくなるタイムが到来している。

 

快楽物質。思うところがあってできる限り摂取しないようにしているが、今日は摂取してしまった。ムカつく。その事実を素直に受け入れられない。
でも、もし摂取を拒んでいたとしら。その場合でも、きっと自分にムカついている。つまり、どっちにしろムカつきが付きまとう。

なぜ快楽物質を摂取したくないのか。音楽の聴取経験が、ある種極限まで高まったピュアな世界として、自分をキュアーしてくれたらいいなと思う。素朴だなと思うが、そうした思いは、音楽を聴き始めたころからずっと自分の中にある。思いというか、願いというか。

 

修士で何の研究をしようかと考えて、まだ答えは出ないが、一つ確かなことが浮かび上がってきた。というのも、結局自分が一番本気で関心のあることをやったらいいということだ。それで、自分の場合何が一番関心があるかと考えてみると、それは結局自分の人生を考えることに近いと気が付いた。

人生における最大の問い。今そこを取り出す作業をしているところ(やはりその手段はエッセイを書いて言語化を行うことになる)だが、結論としては、都市計画ではなく、都市計画に携わる人を研究することになりそうな気がしている。

心の深いところにある生きることに対する真剣さ、みたいなものは大事にしたい。一番究極の部分で何かの可能性を純粋に信じる。
孤独だなあと思う。というか、孤独だなあと思った(酒を飲む人たちに囲まれて、自分も酒を飲んで死にたいなあと思いながら)。

 

人生いろいろあった方が面白いので、まあ死にたい日もそれはそれであり!

 

と、いつもの決まり文句を繰り返す一方で、最近はそれと全く別の、インテレクチュアルに物事を対処する技術もちょっと身についてきている(というかその練習をしている)。でも、その成果はこの文章には全く表れていなさそう。

 

いつも通りだね。