『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』感想

これまでのアニメ『ラブライブ!』からは明確に差別化された作品だ。高咲侑という特殊なポジションのキャラクターが追加され、演出・キャラクターデザインがガラリと変わり、さらには学校を廃校から救う必要がなくなった。では、本作においては一体何が描かれるのか。

伝統を拒否した代わりに、『アニガサキ』が描き出したものは「自己肯定」のための闘いだ。1話で披露された「CHASE!」の歌詞に「なりたい自分を我慢しないでいいよ」という一節があるが、ここに本作のコンセプトが詰まっていると言っても過言ではない。表現の仕方に差異はあれど、これと同様の言葉が全編を通して幾度となく反復される(実はアニメ冒頭の何気ない会話の中にも既にそれは挿入されている)。キャラクター達の自己との葛藤に対する答えとして提示されるのである。そのように、主題をブレることなく描き切ったことが『アニガサキ』を大傑作に押し上げた要因だろう。

優木せつ菜の「大好き」の思いが、高咲侑を突き動かす。高咲侑の「トキメキ」が、中川菜々を呪縛から解き放つ。そうして始まった思いの連鎖は、同好会のメンバーはもちろん、他校のアイドルや一般の生徒も巻き込んで、大きな輪を描いていく。異なる立場の者同士であろうと、よそよそしさはそこにはない。「好き」の思いを持つ同志として、同じ目の高さで交流が行われるのだ。

終盤では複数話にわたって、上原歩夢の葛藤が描かれる。変わることへの恐怖。その苦悩の描き方がすごく丁寧で、そこに私は創り手の誠実さを感じた。そう、この作品を見ていて感じるのは誠実さである。だからなのだろうか、本作を見ていると、視聴者である私も「好き」のパワーを信じたくなるのである。所謂萌えアニメとしてリラックスしながら見られる作品も好きだけど、やはり自分の心にまで強く作用してくれる作品は、格別だ。そのようなアニメ作品として、『響け!ユーフォニアム』は自分にとっての金字塔だったのだけど、この作品もそれに肩を並べるくらい特別な作品になってくれるかもしれない。かもしれない、とするのは、未来の自分にとって『アニガサキ』がどのような存在になっているかまだ分からないから。概して「オタク」は自分の思いと作品を結びつけることを好むが、やはり私もそのようにこの作品を何度も反芻し、そうして思いをさらに深めていくのだろうと思う。