2021-01-11 皿を洗いながら日記に何を書くか考えた

若いうちに○○をやって方がいいよ、という常套句がある。きっと、これを言う人に悪意はなく、若さの持つ可能性の豊かさを知らせようとしているのだろうが、どうにもこの言葉には逆に若さの可能性を限定するような嫌な響きを感じてしまう。それとも、私が緊張しいなだけで、このような言葉を受けて委縮してしまうような人はあまりいないのだろうか。人間が時間の速さから逃れられたらいいのに、もっと世界の変化のスピードが遅ければいいのに、と常々思う。

ついでに社会に対してもう一つ文句をつけておく。私はこの社会における、劣等感が劣等感を生んでいる構造が嫌いだ。他人との比較の中で己に弱さを見出し、その弱さを隠すための強さが、さらに別の人を怯えさせる。そうやって虚勢を張り合う関係が嫌でならない。私にはこのような構造を破壊する意思も能力もなく、できるのはその競争から脱出することくらいだ。それでさえも、実際には自分に言い聞かせようとしているだけで、心の奥の方には並外れた劣等感が閉じ込められているという始末。