『都市計画家 石川栄耀―都市探求の軌跡 』/中島直人ほか
「社会に対する愛情 それを都市計画と云う」(石川栄耀)
私は、他人を想像すること、他人と関わることが得意でないのだと思う。事実過去にそれが原因でひどく苦労し、また現在進行形で苦労させられている。日本における偉大な都市計画家の一人である石川栄耀は、おしゃべりで他人とよく交流する性格でありまた交歓こそが都市の価値であると言った人物だったが、実はそこには孤独を好む自分に対する抵抗的精神があった*1という。もしかしたら、私も無意識のうちで人間にきちんと向き合えない自分を克服することを求めて、この分野を専攻することにしたのかもしれない。あるいは、これから弱い己と闘う覚悟を以って、都市という空間および都市の研究活動に向き合っていかないといけない。
それとは別のところで、都市や社会というものに対して憤りを覚える気持ちもある。なぜ人間は強くならないと生きていくことができないのだろう。都市という空間およびそのつくり手たちは、本当に弱者の気持ちに寄り添えているのか、やさしいのは口先ばかりでその実態はひどく排他的なのではないか。そんな怒りの念をずっと覚えてしまっている。このような考えがひとりよがりなものであることを私は知っているが、それでも今抱えているこの思いは真実のものだ。きっと同じ思いを抱えている人が世の中にはいるはずである。今すぐに、なんてことは言わないが、私は四十代になった自分に対して、弱者を助け、守り、救うことのできる存在になっていることを望む。都市の研究は、そんな自分を目指して、思想と力を育むための活動にもなり得る。
もしかしたら、学生が数年で行える研究活動などたかが知れたもので、上に掲げた二つのスローガンはひどく大それたものであるのだろうと思う。しかし、私は、これから私が闘いを開始する都市という舞台は、これだけの気概を以って挑戦するだけの価値があるはずのものだと期待をしている。本書や、石川栄耀という人物についても、またの機会に考えてみよう。
*1:この点については疑いの念を持ってしまっている節もある。本書の著者のことを個人的に中途半端に知っているからこそ、そこを抵抗なく受け入れられないのかもしれない。本当に孤独で繊細な人であるなら、その葛藤は人生の終わりにまで付きまとうもので、若年時代の一時的な感傷として呑気に切り捨てられるものでは決してないだろう(なんて風に感じてしまうのはあまりにも卑屈で世間知らずだ)。彼がどのような人物であったのかというのを私なりに確かめるためには、彼の著作に直接触れなければならないのだと思う。
ただ、冒頭に引用した言葉には、強い好感を覚えている。石川の一人を求める己に対する抵抗精神の跡が見えるのも好きだし、何より、愛情という言葉には、他人がどのような精神を持っていようともそれを限定せずに、その人なりの思いやりとして尊重しようという彼の誠実さを感じる。