2022-12-02 醜悪さ

今日は、友達が文フリで出した本を読んで、それについて考えていた。読んだら感想を送ると言っていたのに、それを本人に直接ぶつけるのはナンセンスな気がして、送るのをやめてしまった。

 

説明のために、まず友達が書いた文章をまとめる。エッセイなのに雑にポイントを抽出してしまってごめんなさい。
まとめ……かつて「主体性」だと思っていた自分の行動は、実は内発的なものではなくて、他人からすごく影響されたものだった! 筆者は「なぜ」という問いに対して、「答えない」という回答を尊重する。それで「自分を守る」ことができるから。

それに対して、僕が送ろうとした感想は次のような感じ。
まとめ①:「なぜ」に対して、「答えない」という回答をしてもいいが、その後でじっくり時間をかけて、自分の中で「なぜ」に「答えていく」ことが大事なんじゃないか。なぜかと言うと、それはすごく味わい深い営みだから。
まとめ②:筆者も、自分の過去をもっと具体的に確かめたらどうか? その方が分析として「正しい」ものに近づけると思うし、その先に明るいものがあったらいいじゃない?

自分の文章を読んで、その醜悪さにぞっとした。
まず、本当に「正しい」かなんて全然分からないのに、それを押し付けようとしていることのヤバさ。他人がやった思考を安易に否定するようなことするなよ。
そして、むやみに「明るさ」を押し付けようとしていること。これも怖すぎる。本人の事情を無視してる。やばいよ。
それから、そもそも「答えていく」ことの味わい深さなんて本人もよく知っているだろうということ。それを俺みたいなのが今更強調するのがナンセンスだろう。そう思った(思ってしまった)。

 

以上のようなことを思って、文章を全削除。本人に文章を送るのをやめた。
ここで浮かんだ考えは、自分の中に留めて自分の人生に活かしていくのがいい。本人にそのまま送りつけるものではない。そう思った。

 

それで行くと、いろいろ思うところはある。例えば、冬コミで出す同人誌に向けて僕も文章を書いたんだけど、その内容はどうなんだろうとか。自分の思っていることは書いたんだけど、そもそも思っていることそれ自体がナンセンスな気もしてきた。すごく当たり前でみんなが気づいていることを、周回遅れで声を大にして言っているだけのような。

でもその辺は自分では結局よく分からない。やっぱり他人の感想を聞いてみたいかな。

あと、自分のことを知るためには、他人の書いたものを読んで勉強してみるのが大事だと思った。基本中の基本の再確認。

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「自分の中に留めて自分の人生に活かしていくのがいい」と言いながら、それをインターネットにぶん投げている件については、まあどうか目をつむってほしい。