2022-01-10 メモメモ

若干方向オンチなのと探索が好きなのが組み合わさって、昔から、街を移動しているときに知らないところに迷い込むことが多かった。

道に迷い続けて、何となく気づいたのは、街には「何もない」場所は存在しないというほとんど当たり前の事実だった。一帯が未開拓の地域ならともかく、ある程度の人が住んでいる都市的な地域であれば、全ての場所には「何かがある」。例えば、商店、住居、道路、公園、田んぼ、畑、林、森、河川、空き地、耕作放棄地……ほとんど全ての土地は誰かに所有されていて、そして何かの形で利用されており、そのことで意味付けがされている。いや、利用されていなくても、利用されていないことにも意味がある。

この事実は、自分にとっては救いでもあり、同時にすごく面白く感じられるものだった。道に迷っても、その先には必ず何かの出会いがあるのだ。もし迷った先が「何もない」場所だったら、迷ったことはただの悲しい体験にしかならない。しかし、現実はそうではないのだ。

むしろ、自分の意志とは無関係に道に迷うことによって、自分が本来体験できなかった出会いを得られる可能性すらある。そう考えれば、摩訶不思議な体験を提供してくれる迷いという現象をすんなり肯定できた。

 

この話は、人生においてもそのまま当てはまるのではないかと思う。既定路線に乗れなかったことによってのみ得られる出会いがある。そう考えれば、自分のミスを気持ちよく肯定できる(だからと言ってわざとミスばかりしたいわけではないが)。

そうやって、失敗によって現実社会の中で没落していく恐怖におびえながら、自らの失敗を、成功と等価かあるいはそれ以上の価値を持つものとして肯定していく。

 

当たり前のことをくどくどと書いた。