2023-05-23 俺のワイヤーほうきで大掃除

夕方、誰もいない研究室を一人掃除していた。

掃除機や雑巾は部屋にないので、ほうきとちりとり、それとウェットティッシュで掃除をすることになる。

 

ほうきで床を掃く。研究室の隅に置かれた多少の荷物の山には着手せずに、中心部のよく使われているエリアや、プリンターの裏側などの微妙に埃やゴミが溜まりやすい部分にほうきを入れていく。エリアを決めてその部分を掃く。そのエリアが終われば、今度は隣のエリアを掃く。途中、埃が溜まる度に、しゃがみ込んで埃がをちりとりに移す。ちりとりがいっぱいになる度に、溜まったものを廊下にあるゴミ捨て場へ捨てに行く。そんなことを機械的に繰り返す。

研究室を掃除するときは、いつもイヤホンで音楽を流す。今日は、安達としまむらの『メリーゴーランド』をずっとリピートしていた。繰り返されるメロディーが、ほうきの運動をほどよく加速させる。無理やり追い立てられているような不快感はない。ほどよいスピードが心地よい。

イヤホンを外すと、ほうきと床、ほうきとちりとりがこすれ合う音が耳に入ってくる。その音も嫌いじゃない。なぜワイヤーがあんなに良い音を出すのかよくわからない。竹の素材だと全然ダメなのに。

音だけでなく、ほうきのワイヤーの尖端が、床やちりとりとぶつかるときの感覚も好きだ。何百、何千と束ねられたワイヤーの一本一本で、力学的な力の作用が起こっている感覚。あれは中々の他に何にも代えがたい。もちろん、竹ぼうきなんかでは全然だめだ。

 

小学生の頃からなんとなく感じていたが、やっぱり掃除は良い。それも、たぶん掃除機(や竹ぼうき)ではダメで、ワイヤーのほうきとちりとりだからこその良さがある。

ゴミを拾うことは運を拾うこと、なんて大それたことを言うつもりはないが、単純な話として、ほうきやちりとりと言ったシンプルな道具を使って掃除をすることが、人間に良い作用をもたらす部分はあるんじゃないかと思っている。

まず、ちょっとしたいい運動になるよね。一定のリズムを保ちながら歩いたりしゃがんだりしているだけで、何となく気が晴れる感覚がする。特に、身体を動かすことのないデスクワークの前後だと、そうした運動がかなり利く。気持ちがいい。

それに、もちろん部屋がきれいになるのも良い。その場所がきれいだと、みんな何となくその場所をきれいに使おうと心がける。そんな話は、犯罪心理学割れ窓理論Broken Windows Theoryなんかを引き合いに出さなくとも、自分の日常の体験から思い起こされることだ。反対に、部屋が汚いと、ゴミを放置したりということがふつうに行われてしまう。個人的には、みんながある種の美意識を持ってその場所に臨むことが、その場所で行われる活動の生産性を高めるために有効なんじゃないかと思う。

 

最近、自分の中で、エッセイに対する熱が復活している。それで自分でも色々書こうと思っているのだが、その日あった出来事とか最近の日常なんかで書こうとすると、中々うまく筆が進まない。ネタの整理に時間と労力を要して、それで一日が終わってしまい、次の一日が始まってしまう。

とりあえず、読んだ本や漫画、見たアニメや聴いた音楽を題材にして、それについて感じたことを書くと良いのかもしれない。

いわゆる原点回帰。