2023-06-17 言葉への信頼

某さんのシガー・ロスについてのツイートが少し炎上した影響で、ツイッターがやや荒れている。その方への批判(あるいは人格否定)が多く流れてくるほか、「音楽評論」あるいは「音楽評論家」というものに対する怨嗟もしばしば見受けられる。

批評家や評論家と呼ばれるような人たち、つまり文章を書いて作品の価値を論じるような人たちは、そういった行為を好まない人々から毛嫌いされることがままあるだろうが、その中でも例えば映画の分野などと比べて、ポピュラー音楽の場合は批評家の嫌悪のされ方が激しいように思える。

ポピュラー音楽のファンは、個人個人の感性やファッション的な選択感覚を基にして、好きな音楽を聴いている印象がある。それに対して、横から音楽のことを言語化するような態度は嫌われるというのは必然のように思える。

まあ、僕は、ポピュラー音楽における“語り”に結構夢を抱いているのだけれど。

個人的には、「評論家」という言葉が苦手なので、もし自分がその言葉で呼ばれることがあったら何とか拒絶してみようと試みるだろう。

とはいえ、いい代案を提示できるわけでもない。「批評家」という言葉もそれほど好きではない。やっぱり「音楽好き」くらいがちょうどいい。

最近、物事を進めるときには、「やりやすさ」を何より大事にするようになった。

どうでもいいが、このブログにレビューをたくさん投下してきた成果として、音楽レビューについて手が早い人になったみたいだ。質はどうなのかは別の話。

↓の中に僕のレビューが混じっています。

https://twitter.com/hashtag/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%E6%97%A5%E8%A8%98?t=cF9wnfAfCN7aM7X0pw8gnQ&s=09