状況

甘えと自己欺瞞の記録

 

 

四月
大学の授業がオンラインで行われることになった。始まるまではどんなものかと思っていたが、先生方の尽力の成果もあり、やってみれば案外悪くない形式だと感じた。対面で授業を受けることの恩恵がそれほど自分にとっては大きくないと感じていたのもあり、正直むしろオンラインの方が楽そうだしありがたいという思いもあった。前の学期よりもたくさんのことを勉強したいという生産的な気持ちで授業を受けていた。
一方でこの頃は、堕落するということについてよく考えていた。自分はこの後に人生においてもずっと気張っていくのは難しいということ、自分の弱さを知ることが他人の苦しみに近づく方法であるということなどに気づいて、これから生きていくためには、自分の弱点に徹底的に向き合う必要があり、堕ちるところまで堕ちる必要があると感じていた。

 

五月
生活が慌ただしくなっていた。
課題の提出があったり、就職活動に向けて準備をしなければならなかったり、ストレスを感じていた。四月時点で満タンだった体力ゲージが80%、60%、40%と、ゴリゴリ削られていくような感じだった。この時点では、破綻が起こりそうな気配を感じながらもいずれも何とかこなせていた。
ZOOMを用いた新しいやり方の授業にはかなりうんざりしていた。生活の場の中では気が散って集中できないのもそうだが、PCを通じて映像を見ること、音声を聞くことに対する、目と耳のストレスがかなりキツくて、自分の意欲を削いだ。

 

六月
瀬戸際だった。
これまでの人生経験から自分は他人と話さなくても平気なタイプなんだなと思っていたが、案外そうでもないのだなということを、自粛生活の中で身を以て感じていた。YouTuberの配信を見ることは、何となく他人と話しているのと似たような感覚を得ることができ、ささぼーというYouTuberの配信を、アーカイブを何度も見返すレベルで垂れ流していた。
ZOOMやLINEを用いて知り合いと会話する機会も何度かあったが、いつ切ればいいか分からず、あるいはずっと話していたいという思いから毎回深夜遅くまで通話が続き、相手の生活を壊していることに対しての申し訳なさが募った。通話を切った後にしんとした静寂が部屋に訪れる度に耐え切れなくなり死にたいと思った。
演習という大学の必修の授業に付いていけなくなっていた。デザインの課題なのだが、モチベーションが起こらず、何をやればいいのか分からなかった。他の学生や先生と相談すればよかったのだが、それも上手く行かなかった。自分が何でこの課題をやっているのか、何でこの学科にいるのかということを考え出したらキリがなくて、最終的にはただ虚無だけが残った。
以前から抱いていた俺は堕落しなければならないんだという考えが頭によぎり、物事を考える上でのノイズになった。今の状態はそんな自分の精神が引き起こした結果なんだろうなと思いつつも、その考え自体は間違いではないと感じ、どうすればいいのか分からなかった。でも、本当はただ楽をしたいだけなんだろうなと思うと、全ての考えが無に帰していった。

 

七月
授業が終わり、あとはレポートを提出するだけの状態になったため、後ろめたさも消え、生活が自由になった。
課題に取り組まなければいけないという思いは確かにあったが、我ながらどの程度まで真剣にそう思っていたのかは分からない。いつも作業に取り掛かることはできず、アニメやユーチューブを見たり、ゲームをしたりしながら毎日を凌いだ。深夜の公園でぼーっとすることも多かったが、大抵雨のために長居は出来なかった。何を食っていたのかは覚えていていないが、自炊はほとんどできなくなっていた。本当は無理だと分かっていながら体裁だけは整えているような、申し訳なさと穏やかさと諦めの入り混じった思いで過ごした。

 

八月
このまま、人を失望させる結果に終わってはいけないと思った。