2021-02-13 Time may change me, but…

部屋で日記をしたためていたら大きな地震が起こった。今までに体感したことのないほどの大きさで、物や身体は無事なのだが、心がひどく動揺している。以下は地震が起こる前に書いていたもので、今日一日の出来事の記録として投稿しておく。

 

 

今日は早起きをした。久しぶりにZoom会議なるものに出席して、それが終わってから腹が空いたので外出。

美味しいチャーハンを食べたくて、好きな中華料理屋の前まで歩いたのだが、何十人と続く人の列にしりごみしてしまった。別の場所で食べようと思って、特に目的地も定めず、またぷらぷらと歩き出す。今日は、そのまま後楽園、神保町のあたりまで歩いてみた。カレーを食べて、そのあとゆうちょ銀行でお金を下ろそうと思ったのだけど、ATMがどこにあるのかよく分からず、わざわざ秋葉原のアトレまで移動。そして、また歩いて神保町に戻ってきて、ほんの少しだけ本屋を見て帰る。だいぶグダグダだけど、こういうのもいい。

 

今週放送の『ドキュメント72時間』を見た。舞台は神奈川県にある「いちょう団地」。70年代から開発が始まった団地で、現在は外国出身の労働者とその家族や、高齢者の方が多く住んでいるらしい。

以前から団地やニュータウンに興味はあるのだけど、俺の育ったまちにはそういうものがなかったから、それが実際にどのようなものであるのかという肌感覚がイマイチ分からない。一都三県のような場所で育った人には、そういう「コーナーオブカントー」的な感覚が当たり前にあるのだろうか。少しだけ疎外感を覚える。

光が丘や高島平など、実際にそういう場所に何度か足を運んでもみたけど、その時も俺はただの見物人だった。建物や広場などを少し見て、空間構造の幾何的な側面について多少分かった気になる(それさえも、建物の内側にまで入り込むことはできないためわずかにしか理解できていないのだ)だけで、もっと深いところで共有されている感覚みたいなものは全く掴めない。それは、よそ者が一朝一夕で分かるものではないのだろう。

だからこそ、団地とそこに暮らす人たちをカメラで捉えたこの映像作品は、俺にとって価値がある。映像に収められている人々の声も言葉も、俺が聞きたいものそのものだ。もちろん、その撮り方、切り取り方はあくまで恣意的であるから、この番組の全てが「リアル」であるとも思わないけど。でも、その演出の仕方も含めて好きなのだ。番組を見て、共同体としての団地について考えた。以下は、妄想混じりではあるが、団地というものに対して俺が今日感じたものである。

団地は、集合住宅が何棟、何十棟と集まって形成される「地域」である。また、住宅だけでなく、団地の住民向けの広場や店舗などの施設もその内側に備えており、だからこそ、その「地域」に暮らす住民同士の不思議な連帯感もある。特に「いちょう団地」の場合には、日本以外の国に出自を持つ人や高齢者の方が多く住んでいるらしく、独特の人間模様を描いているようだ。色んな国の出身の方が笑顔で付き合っている様子や、高齢者の方々がお互いを支え合っている様子が、とても美しく見えた。世の中はあまりにも厳しすぎるから、弱者が身を寄せ合って生きていくための場があればいいなと思う。

俺自身が弱くて一人で生きていけない人間だからこそ、半分は当事者意識としてそう思う。そして、俺は無力である癖に他人に対しても臆病になってしまう人間で、そういう人間たちがうまくやっていくためにはどうすればいいかという問題に対しても、自分なりの落としどころを探していきたい。

 

 

今日の心の一曲。ボウイの「Changes」。

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