2021-04-01 猫

春は別れの季節だ。学校を卒業して働き始める人もいるし、遠く離れた別の場所で暮らし始める人もいる。ところで、先週ひょんなきっかけから、今年度限りで大学を退官される教員の最終講義を(対面で)聞くことができた。そこでの話の中で「つながり」という言葉が挙げられていた。その先生は大学の学部を卒業して省庁に入ったのだけど、それから何だかんだあって大学の教員になるに至った。何度も場所と立場を変えながら様々なことを研究してきたからこそ、得るものがあったらしい。ただ多様な分野を研究した、というそれだけで終わらせることなく、豊かな構想力を以ってそれらを「つなげる」。そのための努力を行ってきたということが、今の先生を支えているようだ。実行するのは口で言う以上に難しいのだろうけど、私もそのように全ての経験をつなげて考えられる人になりたい、と思う。今まで述べてきたのは個人の経験をつなげるという話であったが、もしかしたら人と人の関係の場合も同様で、つながるための努力をすれば、遠く離れていてもつながることはできるのかもしれない。そんな感じで冒頭の話を回収しておく。

 

帰り道、道端に、猫とその猫を愛でている人がいた。「飼い猫ですか?」と尋ねてみたら、「いいえ、野良猫です」という返答であった。それから1分ほど、私はその方に撫でられる猫を見つめ続けた。それから、その方はその場を去ってどこかへ行こうとする。猫と私が取り残され、一瞬沈黙が流れたが、すぐに猫は立ち去るその方の後ろを追いかけていった。振られてしまった。

昔から猫が好きだ。自分の家の近所にもやたら猫がいるので、ばったり出会ったときには毎回交流を試みている。手の届く距離にまで近づくと逃げられてしまうので、大体は遠くからじっと見つめるようにしている。将来はペットとして猫を飼ってみたいということもぼんやりと考えてはいるが、一方で最後まで責任感を持って面倒を見切ることができるのかという不安や、そもそも愛玩動物を飼うのは人間のエゴではないかという疑いも持っているので、なかなか難しい。野良猫の場合は、そのようなペットの是非云々のややこしい話は置いておいて、純粋に愛らしいという感情が先行する。そういうわけで、私は道端で野良猫と戯れている時間がとても好きだ。猫を怖がらせることなく、楽しく戯れたい。遠くから猫を見つめていると、向こうもこっちを見つめ返してくるけど、もしかするとあれは怯えの現れなのだろうか、そうだとしたら悲しいなあ。暇な者同士がだらだらと退屈をやり過ごすような感覚で一緒に時を過ごせたらいいなあ。