2021-04-26 共有物

誰かのレビューや紹介がきっかけとなって、音楽作品にアクセスすることがある。他人(の心)が良いと思ったものを受容している、という事実をあえて意識的に捉えなおしてみると、何だかくすぐったくて妙な感じがするが、まあ悪くはない。この心と心のとても間接的なつながりを、気持ち悪いとは言いたくない。また、そもそも「一人」で音楽を聞いているときであっても、実は音楽を創った人たちと「一緒にいる」と言うこともできる。

そんなことを考えていたら、音楽と街は似ているような気がしてきた。音楽を聞くということは、ミュージシャンが作り上げた音楽を、別の場所にいる他人と共有しながら、ひとり心で味わうということ。街を歩くということは、不特定多数の人々が作り上げた空間を、過去現在未来に同じ場にいる他人と共用しながら、ひとり歩くということ。やはり、似ている。また音楽の方で、生演奏(ライブ)の場を想定するならば、この類似はより強いものになる。

美術館でしか見られないような高尚な芸術作品よりも、大衆に開かれたポピュラー音楽に関心が行く。著名な建築家が作り上げた建築物よりも、万人に開かれた公共空間の方に関心が行く。たぶん民主的なものが好きなんだと思う。でも、偏見でモノを語らないためにも、「高尚」サイドのことをよく知る必要があるね。