2021-05-14 オタク文化と宗教

実は先日の日曜日、『虹ヶ咲』の3rdライブを配信で鑑賞していた。ライブの内容自体は悪くはなかったのだが、「声優のライブを観ている自分」というものを強く意識してしまって、考えているうちに何だか変な気分になってしまった。

2次元アイドルコンテンツのアレコレを観察していると、「オタク文化」は「宗教」とどう違うのかということを考えてしまう。ずっと前から何となく考え続けていて未だによく分からない。何か参考文献を見てみればより理論的な思考ができるかなと思って、今井信治(2018)の『オタク文化と宗教の臨界』という本を図書館で借りたのだが、こちらではアイドルコンテンツの話は特になかった(これはこれで『lain』や秋葉原の話など興味深いが)。結局、二次元アイドルコンテンツとは何なのか。コンテンツにハマっている自分と、それから他のオタクを観察しながら考える。例えば有名な『アイマス』と『ラブライブ』を比較してみても様相はだいぶ異なっていて、その違いを考えるだけで楽しい。

なぜ楽しいのか。それは僕がオタクカルチャーに関心があるからだ。しかし、その関心は結局「自分」に対する関心とほぼ等しいような気がしていて、何だか自分勝手だなあと思ってしまう。

 

カルチャー、コミュニケーション、教育、心理、認知。「人間」への関心の源流は「自分」への関心。別にそれは不健全なことではなく、むしろみんな当たり前にやっていることなのだろうか。

水曜日。授業の教科書として指定されていた、唐沢かおり(2017)の『なぜ心を読みすぎるのか』のあとがきを読んでいると、彼女の対人認知への研究と、「自分」の心の実践との関係の話が書かれていた。何だかにっこりしてしまう。(オンライン)授業では掴みどころのない人だけど、こんなことを書いているんだ。

これに限らず、本のあとがきを読んでいると、筆者がちょっと恥ずかしいことを書いているのに出会うことがある。いや、「恥ずかしいこと」なんて言うのはよくない。その本に込めようとした切実な思いを記していることがある。その人の「ひととなり」だったり「誠実さ」だったり、そんなものに触れて筆者のことをよく知ると、本編の内容も心に迫ってくる感じがある。あとがきっていいよね。

 

脱線した。『アイマス』と『ラブライブ!』の超個人的比較考察は、そのうち半日記の形式で書くかもしれない。

 

最後に。秋葉原について、引用。

(前略)平易に言えば、秋葉原はオタクの理想を具現化した街であり、オタクが胸を張って歩ける場所だということである。あまりに単純な話であるが、平素の生活世界に生きづらさや疎外を感じている人々にとって、これ以上に「聖地」性を感じる状況はないだろう。

(今井信治 2018 『オタク文化と宗教の臨界』 p239)

もう一つ引用。今度はあとがきから。

「あとがき」ならではのフランクさで本書の着想点を回顧するなら、「オタクって宗教だよね」に他ならない。極論すれば、ただそれだけのことを言うために、大学院入学から本書を上梓するまで十余年も掛かった。

(同書 p245)