2021-05-28 都市(計画)ますたー

過去の自分の言動にちゃんと向き合うのは、なかなか大変だ。自分のイタいところを直視するのには、照れや恥ずかしさが伴う。無意識のうちに精神的な負担が発生するのを避けて、ともすると過去の自分がつくったものを見返すことなく過ごしてしまう。

勇気を出して、過去の自分のつくったものに向き合ってみた。具体的には、去年の今頃に演習で発表した資料を見た。その時はあまりにも設計がうまく行っていなくて、なぜ自分が挫折を感じているのか、ということを教員や他の学生の前で発表するというかなりヤバいことをやってしまっていた。そう思っていたのだが、改めてその時の資料を見てみると、意外と自分が本質的な問いを提起していたことに気が付いた。

空間のスケールとは何なのか、人間は都市をどう知覚しているのか、都市空間で過ごす他者のことをどう想像すればよいのか、都市空間における音とは何であるのか、都市の歴史をどう継承すべきか。どの問いもとても重要であり、また(当たり前であるが)現在の自分の関心にそのまま直結している。

 

2021年現在において、都市計画に求められている役割とは何なのか、また都市計画を学ぶということは一体どういうことであるのか、ということを常に問いながら学習を進めている。この分野の学問・技術は、土木や建築に比べて存在意義が不確かだと思う。この分野のことを学んで、その先に一体何があるのか。つまり、どういうキャリアが考えられるのか。そのような疑問が常に頭の片隅でうごめている。

学問としての都市計画について、今の自分が一つ確信していることがある。それは、この分野がとても奥深い魅力を持っていて、僕個人の生き方についての悩みをぶつけるに値するということだ。都市計画とは、長期的な時間軸の中で都市や街のことを考えて、また将来に向けて「かたち」をつくっていく学問である。都市の未来像を思い描く際、建築物やインフラといったハードの面について議論しているだけでは不十分だ。都市空間で時間を過ごす人間のことを議論することが必ず必要になる。ゆえに、都市計画を志す者には「他者」への思いやりや想像力が求められる。僕はこの学問のそういうところを好いていて、そしてそこに誠実に取り組む価値を見出している。

とは言うものの、都市計画がそれ単体で技術として独立した有用性を持っているのかは疑わしい気がしていて、それが悩みごととして頭の中にずっとある。日本がめきめきと成長していた時代から低成長・成熟の時代へと変化し、多くの課題が新しく立ち現れてきた中で、都市計画に求められる役割は変化している。つまり、求められる技術そのものが時代とともに大きく変容し続けている。この分野が独立した技術として不確かであるという背景には、そのような事情がある。実際問題、例えば大学の専攻で提供されるカリキュラムなんかを見ても、様々なスケールのことを横断的に扱おうとして何だか中途半端になっている印象がある。

そのような状況の中で、都市計画を専門とする者に求められているのは、ある種の「思想」であると思う。その内容は一人一人違っていて良いし、また漠然としていて良いと思うが、折角なのでここでは具体的にいくつか挙げてみよう。例えばまず第一に、上に書いたような他者に対する想像力が挙げられるだろう。一人の人間として、他人(特に弱者)のことをいかにして思いやるか、という問いを抜きにして都市の将来を構想することは許されない。また第二に、一人の市民として都市や街のことを素朴に愛しているということもとても重要だ。街で生活する一人の者として、街という存在をリスペクトしていなければならない。それから第三に、街を愛する他の市民に対して最大限の敬意を払うことが必要だ。そこで言う市民とは、いわゆる「まちづくり」活動を通じて地域に対して自ら積極的に介入するような人たちだけではなく、日常生活の中で素朴に街を愛して素朴に街に関わる人たちまで含めて良いだろう。

都市に対する「思想」を育むということは、すなわち都市の将来を考える上での大きな「構想力」というものを育むことに繋がっているだろう。都市の将来を豊かに思い描くために「思想」が必要であるのだ。

 

都市計画という学問の中には、様々な内容が含まれている(そのことを褒めたい気持ちと批判したい気持ちがぶつかり合っているというのが僕の悩みなのです)。例えば、統計のこととか、交通のこととか、防災のこととか、土地利用や施設配置といった行政側の制度的な都市計画のこととか、かなり色々あるのだけど、今の僕の思いとしては、小さなスケールで都市の空間を議論できるようになりたい。

それができるのが、「都市計画」の中でもいわゆる「都市デザイン」と呼ばれる分野だ。そして、都市デザイナーになるためには、建築のスキルを十分に習得しなければならない。構造や材料についてはともかく、少なくとも建築計画や寸法については熟知していないとダメなんだと思う。

都市デザインをやる上では、建築のことを最低限分かっていないと話にならない。だけどその一方で、建築の枠を超えた専門技術としてこの分野は独立していて、その意味を考えてみると、上で述べたような「都市計画」における「思想」の重要性の話が立ち現れてくる。

 

今日の文章は、説明が不十分でまた散漫としていてだいぶ分かりづらい、と自分でも思う。これは都市計画というものの意味についてあれこれ考えている自分の頭の中を出力してみようと試みた結果だ。論理構造が明快でないことは完全に僕の不手際である。