2021-06-04 信じたものは都合のいい妄想を繰り返し映し出す鏡

空虚だと思う。空虚だからサブカルチャーで自己を埋め合わせ、そうして痛々しくもサブカルチャーへの投影を通じて自己を語る。そんな自分に気づいて、また空虚な思いをする。これが日々のルーティーンの一つ。

 

何だかやるせない気分のままに、以前に購入したものの一切目を通していなかった『動物化するポストモダン』を手に取ってみた。東浩紀によって書かれたこの本は、オタク文化を語ったテキストとして非常に高い評価を受けているが、実際自分で読んでみて、その内容に知的好奇心が激しくくすぶられた。一日でまるまる読み切ってしまった。

内容について深くレビューすることはここではしないが、メモ書き程度に少しだけ。東の洞察はあまりに鋭く、この図書は2001年に刊行されたものであるが、しかしここで記されているオタク観は、現在の状況にも十分に適応できるものだと思った。また議論の範囲を日本という一つの国の短いサブカル史に限定せず、欧米諸国を含めた世界の大きな時間軸の中で、アニメやギャルゲ(に打ち込むオタク)を語っていくという切り口もとても刺激的であった。

読みながら、何となく感じたことがある。それは、ある種の安心感のようなもの。我々の世代は、「大きな物語」が失われたその先の時代(ポストモダンの時代)に生きる世代だ。自分のオタク的な性質も、時代の必然性に駆られて生まれてきた性質である。そんな風に、己のキモくて幼稚なところも納得できるのかもしれない。

 

メタ的な視座を獲得して、自己も含めてあらゆるものを相対化して、そうして自分はどこに行くんだろう。とりあえず、明日は髪を切りに行こう。