2021-06-14 Nightswimming

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お茶の水橋にて。

ふと思い返してみると、地面の写真ばかり撮っている。都市の地面には色々なものが落ちている。それを観察してみるのは、楽しい。自分がそのようになったのは、すっかり染みついてしまった猫背という身体的な問題に原因があるのか、まっすぐ前を向いて歩くのが嫌だという捻くれた精神に原因があるのか。両方だと思う。

それはともかく、どうにも僕は自分の足元をよくよく見返してみることが好きであるようだ。物理的な意味ではそれは俯きながら歩いているという話であるし、精神的な意味ではひたすら自分に対して何かを反復的に問うているという話である。逆に等身大の自分というものを横において、大きなスケールに飛躍してシュールな想像をする資質は自分にはない。

まあでも少なくとも、自分が撮影した地面(とそこに浮かぶもの)の写真は、我ながら好きだと思う。そこには必ず等身大の人間が残した痕跡を見出すことができるから。例えば上の写真の場合では、誰がいつなぜ食べ物を地面に落としたのかいろいろ想像できる。そもそもこの食べ物がいったい何なのか、どこで買えるものなのかがよく分からないから、まずそこの部分から想像を膨らませることができる。たぶん誰かがお茶の水のどこかのお店で昼下がりのおやつとしてこのパン(?)を購入して歩きながら食べていたところで、うっかりそれを落としてしまい、面倒になってそのまま放置したのだろうとか。放置されたパンはこれから雨に流されるのだろうとか、鳥に持っていかれるのだろうとか、誰かの手で掃除されるのだろうとか。

こういう風に、地面に落ちているものは、退屈しのぎの妄想のネタになるから楽しい。あと単純に、写真として絵面がバカみたいでおもしろいよね。

 

 

R.E.M.の「Nightswimming」。繰り返されるピアノのリフとストリングスがただただ美しい。広大な音の世界は、アメリカ大陸に茫漠と広がる砂漠の世界を想像させる。それから、無限に広がる暗闇の世界をただひたすら泳ぐように進む青年の姿をイメージするとき、なぜかそこには不思議な笑顔が思い浮かぶ。哀しいような楽しいような、二律背反のさみしい笑顔。

ーー暗夜遊泳には、静寂の夜がふさわしい(Nightswimming deserves a quiet night)。

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