3S設計演習をようやく終えた

必修課題である設計演習をようやく何とかクリアした。中間発表前にメンタルが最悪になり、約10日間全く手と頭が動かなくなったり、直前に週間はストレスで食事が喉を通らなくったり、色々大変だったけど、何とか気合いで間に合わせた。正直、設計の内容もアウトプットの表現も大分粗っぽくなったが、何とか発表にまでこじつけた。

改めて自分の設計を見てみると、具体的な空間の検討はちょっと物足りないが、自分なりの関心で都市空間の意味を考えられていることはできてるじゃん、と少しは褒めてやりたい気分になる。それに、3か月前の自分と比べてみると、少しは空間をより具体的に考えられるようになったことが分かる。必死こいていた日々はきっと無駄になっていない。

他の人の発表を聞いていると、それぞれの人が独自の視点で都市を捉えていることが分かってきて、そのことが何だか興味深く感じられた。都市に対する向き合い方は十人十色であっていい。都市はそれらをすべて受け止めるだけの力を持っている。人間がそれぞれ持つ独自の視点は、それ自体興味深さを持っている。人間が生きる意味とか、そういう自分の人生に対する問いを、具体的な都市空間を通じてもっと考えたい。その方向性はきっと間違っていないと思えた。

昨日の夜、疲労で頭が動かなくなりながらも必死で手を動かしているうちに、情緒がぐっちゃぐっちゃになって涙が止まらなくなった。今日は、トップバッターの発表を終えてから、建物を少し出て広場のベンチに座りながら20分間くらいひたすら泣いた。なぜ涙が出るのかよく分からなかったけど、たぶんこれは悔しさとか無力感とか、あるいは嬉しさとか達成感とか、それら全ての結果なんだろうと思った。そして、自分で言うとアレだけど、たぶんそれらは全て自分が長い時間をかけて必死に頑張った証だ。

何はともあれ、ずっと自分を苦しめていた一つの課題をついにクリアした。何も出来なかった時間を含めて、自分が経験したことのすべては決して無駄ではなかった。この一年間のことは忘れたくないし、忘れられないと思う。

 

今後の生き方も含めて、少しだけ反省をする。この設計課題は自分をひたすらに苦しめていた一つの要因であったわけだが、それをクリアしたからと言って楽になれるわけはないだろうと思う。計画性のなさとか根本的な不器用さとか、そういう性質は中々解決されない。だから、(例えば卒業研究に取り組むことを考えれば容易に想像がつくのだけど)自分はまた課題をうまくこなせなくてひどい苦労をするのだと思う。

だから、せめてほんの少しだけ心に余裕を持ちたい。ちょっとでもその瞬間を楽しめるように。笑顔でいられるように。ヤケクソにならないように。やさしく振舞えるように。時間をかけてそんなちょっとの心の余裕を獲得していくことが、今後の課題だ。