2021-11-29 Blue Thunder

自分という存在が生きていることが恥ずかしくて恥ずかしくて死にそうになる日々なのだが、何とか這いつくばりながらもしぶとく生存していきたいと思う所存です。気分で転換がてらに、街のことなどについて最近考えたことをちょろっとだけでも書き残したいのですが、今日はもう疲れたのでまた明日にでも。

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例えばエリオット・スミス(彼は最高のシンガーソングライターだと思います)の音楽は、あまりに完璧に構成された、美しくも悲しいポップソングという印象を受ける。彼は、巧みなコード進行を用いて矢継ぎ早に展開を変化させながら、様々な感情を歌い上げる。そして、これはある意味王道のポップソングに見られる態度だと思う。

一方で、Galaxie 500というバンドはどうか。このバンドの音楽は、遅い曲ばかりで、しかも簡単なコードの繰り返しで構成されている。ボーカルの歌い方も何だか適当で、ギターソロも大体フレーズのパターンが決まっている(ドラムとベースには工夫があるけど)。

発狂しているときには、やはりギャラクシーみたいな音楽が最高だ。ストレスで胸がバクバク鳴っているとき、彼らの音楽を再生してBPMに合わせて身体のリズムを整えていく。そっと延々と鳴り響くGのコードに心と身体を預けてみる。「ナァァァ~~~~~~~~」に感情移入してみる。だんだん気持ちよくなってきて、身体の異変は取り除かれていく。

そういう体験をするとき、このバンドの音楽が好きだなあと強く感じる。

 

(ところで、音楽を聞いてハッピーになる体験について、これは実はクスリをキメているのと何ら変わりないんじゃないかと疑心暗鬼になることが、これまで度々あったのだが、先日その悩みに対して一つの答えを出した。ただの物理的な音に揺さぶられているのではなく、演奏者という一人の人間とのつながりを見出すことで、ハッピーを感じているのだと考えればよい。あくまで人間とのつながりの中からハピネスを得ているのだ。ただ音の快楽に踊らされている機械ではない、はず)