The Jesus and Mary Chain - Psychocandy (1985)

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第二次性徴のころ、私はやや特殊な性的嗜好に傾倒し始めた。きっかけは、子供でも知っているような有名なアニメの作品であったはずだ。芽生えた小さくも確かな欲望は、私をインターネットへと駆り立てる。私は、検索エンジンを利用して、自分の嗜好する表現はないのかと、何度も何度もサーチを繰り返した。そうした反復の中で、徐々に私の嗜好するものに近しい表現を「発見」していった。暗い学校の中で知らない誰かが残していった、とても切実で大事なことが書かれた日記を見つけるような体験であった。

街で友達とエロ本を拾ったことが自身にとって発見であったと語る者は多い。しかし、彼らはどれほどその体験に拘るのだろう。おそらく、彼らの多くは、エロ本を拾ったことを性への目覚めとして体験しようとも、目覚めを経てもなおその拾う行為に拘泥することはないだろう。

私がここで密かに打ち明けたいのは、私が初めての「発見」のときからずっと、その日記の発見という体験に執着し続けているということである。当然のことながら、ネット上で作品を公開しているアマチュアが、みなすべて優れた表現力を持つわけではない。むしろ、アマチュアはアマチュアであり、その多くは稚拙な技術しか持たないのかもしれない。しかし、それでもなお、インターネット上でひっそりと公開されている作品が、私の黒い心の動きを満たして浄化させてくれることがある。己の衝動と、作者の衝動が重なり合う感覚。それが次の飢えた私を再度インターネットへと呼び立てるのだ。

私にとって、ジザメリのこの1stアルバムを聞く体験は、上の体験とよく似通っているところがあるように思える。いずれにおいても私は、閉鎖的であり退廃的であり刹那的であり、しかしそれでいてどうしよういほどに甘美な何かに取り憑かれているのである。

 

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