2022-10-22 床舐め

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を見ている。漫画の1巻は読んでいたのだが、やはり漫画とアニメでは印象が異なる。視覚的なダイナミクスの問題もあるが、やはり重要なのは、音が加わったことだろう。音楽を題材とする作品においては、やはり音が鳴っているかないかで、だいぶ印象が異なる。

このアニメの演出の中で、特に優れていると思う箇所が一つある。それは、ライブハウスの喧騒中での、ぼっちちゃんの独白である。1話では自分が演奏する中で、2話では他人が演奏する中で、彼女が自分の心情を言葉にする。抒情的で激しいロック音楽の中で放たれるからこそ、彼女の言葉は、ドラマチックな響きを帯び、そうして私たちの心を打つ。

一方で、Twitterなどを見ていてもさんざん言われていることであるが、私のような捻くれは、どうしてもぼっちちゃんのキャラクター性に対して、モノ申したくなってしまう。「お前、友達いない間にバカみたいに上手くなるまでギターの練習できてるやん」とか「お前、人の目見れないとか言っておきながら、簡単にそれやってのけちゃうやん」とか。

 

そんなことを考えながら、ロックって何だろう、ということを改めて自問自答してみた。答えはすぐに出た。「私たちを縛るものからの解放」。私がロックを形容するなら、この言葉さえあればいい。

どういうことなのか。例えば、ジザメリの「Taste the Floor」という曲。この曲は本当にバカみたいな曲だと思う。めちゃくちゃシンプルなリズムとコード進行とメロディーに、壊れたラジオが出すようなギターノイズを塗りたくっただけのような代物。

でも、こんなバカみたいな音楽が、私を何か嫌なものから解放してくれる。何から解放されているのかはよくわからない。社会通念なのか、過去へのトラウマなのか、未来への不安や恐怖なのか。ただ、そこには刹那的な快楽と救済がある。

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さて、その上で、私は『ぼっち・ざ・ろっく』をどういう風に見てみようか。

やっぱり、自分の枠に収まったちっぽけなプライドでぼっちちゃんを妬んでいてもつまらない。ここはいっそ、ロックというカルチャーに大きな夢を抱いてみたくなった。ロックが、いかにぼっちちゃんを変えていくのか。それは、私のような「解放」であるかもしれないし、もっと違うあり方なのかもしれない。

創り手が、ぼっちちゃんを通じて、ロックというものをどう描いてくれるのか確かめてみたい。