2099-11-25 永遠の愚か者

気が付けば、僕も齢100歳を超えていた。僕が生まれた頃、日本の平均寿命は世界一を誇っていたが、今この国にそんな特権的な地位はない。かつての栄光はどこへやら、科学技術はとっくの昔に他国に追い抜かれた。もちろん医療についても、それは同様である。

そうは言っても、日本それ自体に限れば平均寿命は長くなっている(いまやそれは120歳!)ので、こうして僕も元気に生きながらえているわけである。そうはいっても、仕事をリタイアして老人がやることなんてそんなにない。生きていく上で必要な家事全般、生きていく上で必要な通院(老人はほとんど毎日のように医者に身体を見てもらわなければいけないのだ)が生活のほとんどを占める。残ったわずかな時間で、図書館に通って目を凝らしながら本を読んだり、老人の集まりに出向いてどうでもいい雑談をしたりする。そして、たまに昔のことを回想したりする。そんなところである。

そう言えば、20代の頃の僕は「ふとん」なんて恥ずかしいハンドルネームを使って、インターネットにひとりごとを垂れ流していたことを思い出した。僕は、ネットに大した書き込みをしていたわけではなかったけど、自分の記録を削除することだけはしなかった。その甲斐あってか、いまや公共の財産として整備されているインターネットのアーカイブにアクセスすれば、過去の僕の書き込みを見ることができる。

折角だから、今日(11月25日)の書き込みを探すことにした。マウスをスクロールしていくと、それは見つかった。77年前、2022年の書き込みである。

俺は終わりだ。クズだ。他人に頼ることができない。いつも失敗する。卒論を提出できない。きっとまた留年する。生きている価値がない。気が狂いそう。ゴミ。頭が悪い。バカ。うんちゅぷうんちゅぷうんちゅぷ。もうだめだはきそう。ごめんね。

僕は、自分の書き込みの劣悪さに辟易しながら、画面をスライドさせていく。そして、記事の最後で、次の書き込みを見つけた。それを見て、僕は笑った。

でも負けたくない。

バカは治らなかったが、この思いがあったから、僕は100歳まで生き延びることができた。

 

どうせ明日も退屈な一日。どうせなら電車に乗って、久しぶりに都会の方まで出てやろうと思った。何か新しいことが待っているといいな。