2022-12-07 問答

ここ一年間、「自分は”どう”生きたいのか?」ということを常に考え続けていた。そのための勉強なんかをやってみたのもあって、ちょっとは思索が深まった気もしている。しかし、いかんせん最近はそうしたことを真剣に考えるのに、もう疲れてしまった。
(おそらく人間一般の問題として)考えれば考えるほど、自分の矛盾や卑しさに直面する。そこを問うていくのが面白いのだが、しかしその行為は精神的な疲弊を伴う。今はそれにやられているのかもしれない。

それに、現実の問題として、自分にとっての問いの重要度(切実度?)が別のものへとシフトしつつある。
「”ろくでもなさ”をいかにして受け止めていくか?」という問いである。これ自体は、ずっと昔から自分の中にある問いだ。むしろ、自分の感覚的には、上の問いがこの一年間くらいでにわかに立ち現れてくるより前は、こちらの問いがずっと重要度の首位を占めていた。それが首位に復帰したような形だ。

この問いには、いくつかの意味が込められている。列挙する。
・自分という存在の”ろくでもなさ”をどう肯定する(それでいいんだ!と認める)か、自分の日々の”ろくでもなさ”をどう肯定するか
・自分という存在の”ろくでもなさ”をどう改善するか、そしてどう”ろくでもない”日々から抜け出すか
・(発展的な可能性として)他人という存在の”ろくでもなさ”とどう向き合うか(ここにはある種の傲慢さがある)

このように、ブログを再開しているのも、この”ろくでなさ”を巡る思考を、言葉にして書き起こしたかったからというのもある。
この問いに答えを出そうと思うと、自分自身で言葉を紡ぐことが必須になるからだ。

 

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上と関連するが、やっぱり音楽はいい。音楽を聞くという体験は、とても神秘的で、論理ではなく感覚に訴えかけて、今という瞬間を肯定させてくれる。身体的な効果も含まれているのだけど、決して身体的なだけでない。
私たちは、音楽のリズムに乗りながら、すごく身体的に、直感的に、
自分の存在や日々に何か特別な意味を与える(ことができる)。そんな自由なところが、人間らしい味わいにあふれていて好きだ。

たぶん、自分の”ろくでもなさ”に関連付けながら、音楽について語るような文章を今後ちょろっと書いていく気がする。
……というか、過去に書いた音楽レビュー(と呼べる代物なのか?)も、だいたいそういうものだ。

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