2023-05-25

今日から三日間、関西の某都市で遠征調査をやる。外国人留学生の手伝いだ。

移動中、ラッセルの『幸福論』を読んでいた。内容について、基本的にはすごく同意できるのだが、ハードコアの部分で打ちのめされてしまった自分もいる。考えを整理してから詳しい感想を述べたいところだが、後回しにすると結局やらない気もけっこうするので、ここで簡単にメモ的に書き起こしておくと、自分の核心部分の痛いところを貫かれてしまった気分だ。ラッセルの文の運びが精緻で、かなり納得できるものであるからこそ、グサッと突き刺さってしまっている。否定できない。

幸福になるためには、外界に好奇心をふりまくのだ、自分の殻に閉じこもってばかりいてもだめだぞ、と。いや本当にそうなんだけども、分かっているのだけども。中々そうはできないよね、って思っちゃう。

じゃあ、何で自分が自分の殻に閉じこもりたがっているのかとちょっと考えてみたら、自分の美徳を達成することに拘りたいと強く思っている自分に気が付いた。一歩引いて冷静に考えて、別にそれはそんなに悪いことではないが、もう少し程度を抑えるべきだと思った。

そこまで考えて、じゃあ具体的にどういう風に自分の考え方を変質させられるかと考えだしたら、頭が混乱してきたのでいったん思考を停止した。ちょうど新幹線が目的地に着くところだったし。

 

調査が終わってから、ホテルに行くまでに時間があったので、姫路駅のジュンク堂に行って、中公新書の『幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで』を買った。ラッセルも含めて、幸福に関する論をいろいろ眺めて、自分の中で相対化を行うことが目的だ。

こいつを読み終えて暇だったら、ちくまプリマー新書の『福とは何か―思考実験で学ぶ倫理学入門』も読んでみたい。あと、ショーペンハウア―やニーチェも(ラッセル的な態度の逆の例として)読みたい。うーん、欲望はつきない。

 

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ところで、姫路駅のジュンク堂って、エキナカのショッピングモールである「ピオレ」に対して、だいぶおかしな接続の仕方をしている。なんでこんなことになっているのか知っているマニアの人がいたら、ぜひ経緯を教えてください。

参考までにネットから持ってきた画像を載せておく。一枚目の48番がジュンク堂です。

https://piole.jp/himeji/images/search/piole2-3_floor.png

https://image.honto.jp/store_floormap/2/70026.jpg